2005年の主な地震活動の評価
各地震活動の評価は、発生後、1年程度の間に公表された評価内容をとりまとめたものです。(これまでの地震活動の評価の閲覧へ)
A | 2005年1月19日 房総半島南東沖(プレートの三重会合点付近)の地震活動 | M6.8 | 津波を観測 | |
B | 2005年2月16日 茨城県南部の地震活動 | M5.4 | 最大震度5弱 | |
C | 2005年3月20日 福岡県西方沖の地震活動 | M7.0 | 最大震度6弱 | |
D | 2005年4月11日 千葉県北東部の地震活動 | M6.1 | 最大震度5強 | |
E | 2005年6月3日 熊本県天草芦北地方の地震活動 | M4.8 | 最大震度5弱 | |
F | 2005年6月20日 新潟県中越地方の地震活動 | M5.0 | 最大震度5弱 | |
G | 2005年7月23日 千葉県北西部の地震活動 | M6.0 | 最大震度5強 | |
H | 2005年8月16日 宮城県沖の地震活動 | M7.2 | 最大震度6弱 | 津波を観測 |
I | 2005年8月21日 新潟県中越地方の地震活動 | M5.0 | 最大震度5強 | |
J | 2005年10月19日 茨城県沖の地震活動 | M6.3 | 最大震度5弱 | |
K | 2005年11月15日 三陸沖の地震活動 | M7.2 | 津波を観測 |
1月19日に房総半島南東沖(プレートの三重会合点付近)でM6.8の地震が発生し、伊豆諸島の三宅島、大島、八丈島等で高さ30cm以下の津波を観測した。発震機構は東北東-西南西方向に圧力軸を持つ逆断層型である。最大の余震は1月21日のM5.8の地震である。この付近では2004年5月30日にもM6.7の地震が発生し、伊豆諸島で高さ10cm未満の津波を観測している。
2月16日に茨城県南部の深さ約45kmでM5.4の地震が発生し、茨城県で最大震度5弱を観測した。発震機構は北西-南東方向に圧力軸を持つ逆断層型で、フィリピン海プレートと陸のプレートの境界で発生した地震である。なお、2月23日には、この北西側の深さ約50kmでM4.4の地震が発生したが、発震機構より、この地震はフィリピン海プレート内部で発生したと考えられる。
○ 3月20日10時53分頃に福岡県西方沖の深さ約10kmでM7.0の地震が発生し、福岡県と佐賀県で最大震度6弱を観測した。また、4月20日には、志賀島(しかのしま)付近の深さ約15kmでM5.8の最大余震が発生し、最大震度5強を観測した。地震活動はM7.0の地震を本震とする本震-余震型である。これらの地震は、主として玄界灘から志賀島付近にかけて北西-南東方向に長さ約30kmに線状に分布し、最大余震に伴う二次的な余震活動が志賀島付近から南東側に約5km分布している。また、本震の約1日後から始まった博多湾付近の浅い地震活動は、概ね北北西-南南東方向に約10kmに分布している。本震および最大余震の発震機構は東西方向に圧力軸を持つ横ずれ断層型で、余震分布と発震機構から推定される震源断層は、北西-南東方向のほぼ鉛直な断層面を持つ左横ずれ断層である。
- 3月20日 福岡県西方沖の地震(本震と余震活動)
- 3月20日 福岡県西方沖(M7.0)後の博多湾付近の活動
- 3月20日 福岡県西方沖の地震(メカニズム)
- 3月20日 福岡県西方沖の地震の震源過程
- 3月20日 福岡県西方沖の地震の震源過程2
- 3月20日 福岡県西方沖の地震(DD法)
- 震源分布図 2005/03/20 10:53 - 2005/04/06 08:00(M>2.0)
- 余震活動の回数比較(マグニチュード4.0以上)
- 3月20日00時~24時の九州北部・対馬、九州西部の潮位データ
- 福岡県西方沖の最近の地震活動状況
- 福岡県西方沖~警固断層付近の最近の地震活動状況
- 2005年3月20日10時53分福岡県西方沖(M7.0)の地震の震度分布
- 福岡県西方沖の地震の余震活動(4月20日 M5.8の余震)
- 福岡県西方沖の地震の余震活動(4月20日 M5.8の余震の二次的な余震活動)
- 福岡県西方沖の地震の余震活動(博多湾付近の活動 M≧1.2)
- 福岡県西方沖の地震活動(余震活動)
○ GPS観測の結果によると、本震に伴い、福岡観測点(福岡県福岡市東区)で南西に約18㎝、前原(まえばる)観測点(福岡県前原市)で南に約9cm移動するなど福岡県を中心に変動が観測された。これらの観測結果は本震の発震機構と調和的である。また、4月20日の最大余震に伴って、震源に近い海の中道観測点(福岡県福岡市東区)でわずかな地殻変動が観測された。なお、今回の地震発生後、福岡観測点でわずかな余効変動が観測された。
(注)GPS観測結果の数値等は、福岡・前原両観測点が2005年4月13日時点、海の中道観測点が2005年5月11日時点のものである。また、余効変動の記述は2005年4月13日時点のものである。
○ 本震の震源過程の解析結果によると、破壊は断層面のやや深いところから始まり、大きなずれ破壊を起こした領域が本震南東側の浅い部分に推定されている。
○ 今回の活動域周辺で発生したM7以上の地震は、1700年の壱岐・対馬付近の地震(M7)が知られているのみである。その他の過去の活動としては、1898年の糸島の地震(M6.0,M5.8)、1929年と1930年に福岡県西部でそれぞれM5.1、M5.0の地震が発生しているが、それ以降M5を超える地震は発生していない。
○ 今回の活動の周辺域で顕著な地震活動の変化は認められない。
○ 余震域の北東側には、余震分布とほぼ同じ方向に延びる長さ数kmの活断層が2カ所に分布する。また、福岡県北部には、北西-南東方向に延びる活断層が複数存在し、これらの活断層のうち、福岡市から筑紫野市にかけて延びる警固(けご)断層が余震域の南東延長付近に位置している。
4月11日に千葉県北東部の深さ約50kmでM6.1の地震が発生し、茨城県と千葉県で最大震度5強を観測した。発震機構は東西方向に圧力軸を持つ逆断層型で、フィリピン海プレートと太平洋プレートの境界で発生した地震と考えられる。地震活動は本震-余震型である。この付近では、その後、5月15日と30日にM4.7、6月20日にM5.6、7月22日にM4.4の地震が発生するなど地震活動のやや活発な状態が継続した。なお、千葉県北東部では、2000年6月3日のM6.1の地震後にも同様な状況が見られ、この時は同年9月頃までの約4ヶ月間、地震活動のやや活発な状態が継続した。
6月3日に熊本県天草芦北地方の深さ約10kmでM4.8の地震が発生し、熊本県で最大震度5弱を観測した。本震の発震機構は南北方向に張力軸を持つ横ずれ断層型である。地震活動は本震-余震型である。なお、周辺のGPS観測結果には、この地震の前後で、特に変化は認められない。今回の震源付近では、1923年8月以降、M5.0以上の地震が6回発生しており、最大は1931年12月26日のM5.8である。
(注)GPS観測結果の記述は2005年7月13日時点のものである。
6月20日に新潟県中越地方の深さ約15kmでM5.0の地震が発生し、新潟県で最大震度5弱を観測した。本震の発震機構は北西-南東方向に圧力軸を持つ逆断層型である。地震活動は本震-余震型で、最大の余震は、6月20日に本震付近で発生したM4.4の地震である。なお、周辺のGPS観測結果には、この地震の前後で、特に変化は認められない。今回の震源は、平成16年(2004年)新潟県中越地震の余震域の西側約20km付近に位置しており、この付近で1923年8月以降に発生した最大の地震は、1990年12月7日のM5.4の地震である。
(注)GPS観測結果の記述は2005年7月13日時点のものである。
7月23日に千葉県北西部の深さ約75kmでM6.0の地震が発生した。この地震により東京都で最大震度5強を観測した。また、8月7日には、ほぼ同じ場所でM4.7の最大余震が発生した。発震機構はいずれも東西方向に圧力軸を持つ逆断層型で、太平洋プレートの沈み込みに伴う地震である。地震活動は本震-余震型である。周辺のGPS観測結果には、この地震の前後で、特に変化は認められない。今回の震央付近には、深さ70km前後で太平洋プレートの沈み込みに関係した定常的な地震活動が見られる。1923年8月以降、M6.0以上の地震が今回を含めて6回発生しており、最大は1956年9月30日のM6.3の地震である。
(注)GPS観測結果の記述は2005年8月10日時点のものである。
○ 8月16日11時46分頃に宮城県沖の深さ約40kmでM7.2の地震が発生した。この地震により宮城県で最大震度6弱を観測し、石巻市鮎川で0.1mなど、東北地方の太平洋沿岸で微弱な津波を観測した。発震機構は西北西-東南東方向に圧力軸を持つ逆断層型で、太平洋プレートと陸のプレートの境界で発生した地震である。地震活動は本震-余震型で、余震活動は低調ながらも継続している。これらの余震は、主として牡鹿(おしか)半島沖合の東西約40km、南北約30kmの範囲内に、太平洋プレートの沈み込みに沿って西傾斜で分布しており、本震はこの南東端に位置している。
その後、12月2日に本震の南東約10kmでM6.6、12月17日には余震域の北端付近でM6.1の地震がそれぞれ発生した。震源の深さ、発震機構はいずれも本震とほぼ同じで、太平洋プレートと陸のプレートの境界で発生した地震である。12月2日の地震(M6.6)は、これまでの最大の余震と考えられる。この地震の発生後、余震発生数が一時的に増加した。
○ GPS観測の結果によると、本震の発生に伴って、牡鹿観測点(宮城県石巻市)が約6cm東に移動するなど、宮城県を中心に南東から東方向の移動が観測された。また、牡鹿観測点の約5cmを最大に、牡鹿半島周辺で沈降が観測された。これらのGPS観測結果から推定される震源断層モデルは、本震の発震機構や余震分布と概ね整合している。その後の余震活動では、12月2日の最大余震に伴い、牡鹿半島付近の観測点で、ごくわずかな地殻変動が観測された。なお、本震発生後から牡鹿半島周辺のGPS観測点で観測されている、わずかな余効変動は、11月以降鈍化していたが、12月2日の最大余震の後、一時的にやや加速した。1月以降は再び鈍化しながらも継続している。
(注)GPS観測結果の数値等は、本震が2005年9月14日時点、最大余震が2006年1月11日時点のものである。また、余効変動の記述は2006年9月13日時点のものである。
その後の余効変動については、2006年12月(の定例の地震調査委員会)の評価結果をご覧下さい。
○ 海底地殻変動観測の結果によると、今回の地震の前後で、本震震央付近の観測点が東北東方向へ移動するなどの変動が観測された。これらの観測結果は、陸上のGPS観測結果から推定される断層モデルと調和的である。
(注)海底地殻変動観測結果の記述は2005年10月12日時点のものである。
○ 地震観測による震源過程の解析結果によると、本震の主要なずれ破壊を生じた領域は破壊開始点付近にあったと推定されている。
○ 本震の東北東約80km付近では、8月18日頃から地震活動が始まり、8月24日と8月31日にそれぞれM6.3の地震が発生するなど活動が活発化した。発震機構はいずれも北西-南東方向に圧力軸を持つ逆断層型で、太平洋プレートと陸のプレートの境界で発生した地震と考えられる。9月4日以降、地震活動は次第に低下した。
○ 本震の震源は、1978年宮城県沖地震の震源に近く、ほとんどの余震は1978年の余震域内で発生しているが、南側の比較的狭い範囲に留まっている。また、1978年に比べ、地震の規模、観測された津波、及び推定される波源域のいずれも小さい。
○ 今回の地震は、地震調査委員会が想定している宮城県沖地震の震源域の一部が破壊したものと考えられる。しかし、地震の規模が小さいこと、及び余震分布や地震波から推定された破壊領域が想定震源域全体に及んでいないことから、引き続き地震調査委員会が想定している宮城県沖地震の発生の可能性がある。
8月21日に新潟県中越地方の深さ約15kmでM5.0の地震が発生し、新潟県で最大震度5強を観測した。発震機構は北西-南東方向に圧力軸を持つ逆断層型である。地震活動は本震-余震型で、最大の余震は、8月21日に本震付近で発生したM3.4の地震である。なお、周辺のGPS観測結果には、この地震の前後で、特に変化は認められない。今回の震源は、平成16年(2004年)新潟県中越地震の余震域の西側10km付近に位置している。また、2005年6月20日に発生した新潟県中越地方の地震(M5.0)の北東側15km付近に位置している。
(注)GPS観測結果の記述は2005年9月14日時点のものである。
10月19日に茨城県沖の深さ約50kmでM6.3の地震が発生し、茨城県で最大震度5弱を観測した。発震機構は西北西-東南東方向に圧力軸を持つ逆断層型で、太平洋プレートと陸のプレートの境界で発生した地震である。GPS観測結果によると、茨城県の太平洋沿岸の観測点で、この地震に伴うごくわずかな地殻変動が観測された。この付近では、2000年7月21日にM6.4(最大震度5弱)の地震が発生している。
(注)GPS観測結果の記述は2005年12月14日時点のものである。
11月15日に三陸沖でM7.2の地震が発生し、岩手県大船渡市で42cmなど、東北地方の太平洋沿岸で津波を観測した。発震機構はほぼ東西方向に張力軸を持つ正断層型で、太平洋プレート内部の浅いところで発生したと考えられる。地震活動は本震-余震型で、本震発生後数日間の余震活動は活発であった。これらの余震は、三陸沖の日本海溝の東側に分布しており、これまでの最大の余震は、11月25日と12月8日に発生したM4.8の地震である。GPS観測結果には、この地震の前後で、特段の変化は認められない。今回の地震活動の北側では、1933年に三陸地震(M8.1)が発生しているが、1923年8月以降では、それ以外に三陸沖の日本海溝の東側でM7以上の地震は発生していない。
(注)GPS観測結果の記述は2005年12月14日時点のものである。また、その後の精査の結果、マグニチュードは当初の7.1から7.2へ修正された。