「2011年東北地方太平洋沖地震」は発生直後から「869年貞観地震」との類似性が指摘された。貞観地震は平安時代の歴史書に記録された歴史地震で、東北地方の太平洋岸に大きな揺れと津波を伴ったことが記されている。近年の津波堆積物の調査によって、貞観地震の津波は当時の海岸線から内陸3~4kmまで及んだことがわかり、その波源は宮城県沖から福島県沖のプレート境界と推定されていた。津波の規模は2011年のそれと似ており、貞観地震の再来を想定していれば事前の浸水予測がおおよそ可能であったと言える。このため津波堆積物をはじめとした過去の地震や津波を探る研究(古地震研究)が一躍注目を集めることになり、国や関係自治体だけでなく民間企業も被害想定のための津波堆積物調査を行うようになった。
しかし一方で「想定外」をなくすために、従来では考えられなかったような超巨大な震源を想定した津波シミュレーションも行われるようになった。その中には古地震研究に基づく情報はあまり考慮されていない。すなわち過去に実際にあったかどうかではなく、考え得る断層の拡がりをすべて破壊させるという仮定の下に行われている想定である。このような想定は、原子力発電所などの重要構造物への影響評価のためには大きな意味を持つ。だが、一般市民へは丁寧な説明が必要である。東北の巨大津波を映像などで目の当たりにした方々の中には、20~30mもの高さの津波が日本中のどこでもただちに来るかのような誤解をもたれている方が少なくないようである。逆に言えば巨大な津波の想定は、そのような市民からの要請であるとも言えるだろう。
かつて筆者が津波堆積物調査に基づいて、巨大津波の可能性を論じると、一部の防災関係者からは迷惑がられたこともあった。しかし今ではむしろ古地震の情報にかかわらず、巨大な津波を想定するようになった。では古地震研究は無意味なのかというと、そうではない。過去にあった事実を丁寧に調べ、現実的な津波の規模とその可能性がどれくらいなのかをしっかり示し、市民に理解してもらうことが非常に重要である。
ただし、古地震学はまだ発展途上の分野であることも承知していただく必要がある。特に津波堆積物に関しては、評価手法が確立されているとは言えず、まだ手探りの状態であることは否めない。このため、ここ1年で急速に進んだ各地での調査結果も、データの質にはばらつきがあり、ただちに防災に役立つというわけではない。また古地震学的に推定される震源は限られたデータに基づいていることから、地球物理学的な観測データと相補的に検証して精度を上げる必要がある。実体のない想定ではなく、過去の事実と考え得る断層の拡がりとの検証から将来の可能性を示していくことが重要であり、それが防災対策へ貢献し、市民の不安を減らすことに繋がるだろう。
(広報誌「地震本部ニュース」平成24年(2012年)5月号)