はじめに
2016年熊本地震(M7.3、以後、熊本地震と表記します)では、熊本県に分布する布田川断層帯の布田川区間全域と、南側に隣接する日奈久断層帯の高野—白旗区間が破壊し、地表には地震断層(以後、地表地震断層と表記します)が現れました。この地震の影響で、周辺地域にはひずみが再分配されたと言われています。日奈久断層帯は、高野—白旗区間と、南側にある日奈久区間、八代海区間の3区間からなる総延長約81kmの断層帯です。熊本地震の影響をうけた区間は、将来地震を起こしやすくなったのでしょうか?
この疑問に答えるためには、日奈久断層帯の過去の地震活動の歴史を知る必要があります。産業技術総合研究所は、文部科学省から委託された「平成28年熊本地震を踏まえた総合的な活断層調査」(研究代表者:九州大学 清水 洋)の一環として、日奈久断層帯の3区間において、古地震調査を行いました。ここでは、陸域2ヶ所(図1)で実施したトレンチ調査の結果を紹介します。
図1 日奈久断層帯の位置と周辺の地形
基図は産業技術総合研究所の地質図Navi(背景地図はYahoo 写真)を使用し、地名等を追記しました。
上益城郡甲佐町白旗山出でのトレンチ調査
熊本地震の際には、日奈久断層帯北部にも地表地震断層が現れました。白旗山出地区は、目で見える地表地震断層が現れた範囲の南端付近に位置します。この地点での地表地震断層は、幅数センチメートル程度の開口亀裂とわずかな地表面のたわみでした。このわずかなたわみを測量してみたところ、上下方向に8cm 西側が低くなっていました。このたわみの下に断層があると推定して、トレンチと呼ばれる調査用の溝を掘削しました(図2)
トレンチの壁面では、地表のわずかなたわみが観察された場所のちょうど真下に、地層を大きくずらす断層が複数見つかりました。図2では、地層が写真の右(東)側から左(西)側に向かって傾斜していくとともに、赤矢印で示した断層によって、ずらされている様子が観察できます。また、下の地層ほど、断層沿いで食い違う量が大きくなっています。川の流れによって運ばれてきた砂や泥でできているこれらの地層は、下から順に堆積していきます。したがって、「下にある古い地層の方が、断層沿いでより大きく食い違っている」ことは、「古い地層ほど、多くの回数の地震を経験している」ことの証拠になります。
一番下の焦げ茶色の地層(図2中の③)は、年代測定の結果、約1万5千年前の地層であることが分かりました。地層と断層の関係を詳細に観察した結果、この地層が堆積した後に、合計5回の地震が起こったことが推定されました。
図2 山出トレンチの北壁面
赤矢印が断層、白矢印は炭素を多く含む焦げ茶色の地層(腐植質シルト層)を示します。
宇城市小川町南部田でのトレンチ調査
宇城市小川町南部田地区は、熊本地震では活動していない区間に属しています。南部田地区でも、同様にトレンチ調査を行いました(図3)。こちらのトレンチ壁面でも、東側から西側に地層が傾きながら下がり、途中で明瞭な断層によってずらされている様子が観察されました。詳細な壁面観察と地層の年代測定の結果、約1万8千年前から現在までの間に、合計6回の地震が起こったことが推定されました。
まとめと今後の課題
今回2ヶ所で実施したトレンチ調査の結果、いずれの地点でも、過去には、約2~3千年の周期で地震を起こしていた可能性が指摘できます。今後、地層の年代測定値が増えることや、専門家の議論によって、この数字が変わる可能性はありますが、従来考えられていたよりも、はるかに頻繁に地震が起こっていたことが分かりました。このことは、将来も同様の地震が比較的高頻度で起こる可能性があることを意味します。
熊本地震で出現した地表地震断層は、1本に集中しているところや、複数の断層が並走しているところ、分岐しているところ等、多様性がありました。今回のトレンチ壁面で観察された断層は、過去に地震が起こった時、地表地震断層だったはずです。果たしてその断層は、1本に集中した場所だったのでしょうか?もし、複数に断層が分かれている箇所の一つだったとしたら、他の断層も調べなければ、見落としが出てしまうかも知れません。
見落としをできるだけ減らして、過去の地震活動の歴史を精度良く推定することは、将来起こる地震を精度良く推定することに直結します。そのためには、今後も古地震調査を多くの場所で実施していく必要があります。また、活断層直近に住む方々に、調査の様子を公開するなど(図3及び図4)、活断層や地震について、理解を深めていただくことも重要です。
(文責 宮下由香里)
図3 南部田トレンチ北壁面 |
図4 山出トレンチでは、一般公開のほか、 |
(広報誌「地震本部ニュース」平成29年(2017年)夏号)