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  1. 地震・津波の提供情報
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  3. ハイチ地震に想う(入倉孝次郎)

(広報誌「地震本部ニュース」平成22年(2010年)4月号)

ハイチ地震に想う

 今年の1月12日に起こったハイチ地震による強い揺れはハイチ共和国の首都ポルトープランスを直撃し、夥しい数の一般市民の住居を破壊しただけでなく、公共性の高い病院、学校、さらに首都の中枢をなす国会や主要官庁の建物を倒壊した。死者の数は、テレビなどマスメディアの報道で地震発生直後にすでに数万人に達する模様と伝えられていたが、一ヶ月以上経った2月21日に行われたプレブァル大統領の演説では、30万人以上に達する見込みとしている。
 この地震の規模はモーメント・マグニチュード7.1で、阪神・淡路大震災を引き起こした1995年兵庫県南部地震と比較すると地震モーメントで2倍程度大きい。地震の規模が大きい分だけ強い揺れに襲われた地域が広かったと考えられるが、それだけでこのような大きな被害は説明できない。
 遠地地震記録を用いて推定された断層すべり分布(例えば、USGSのウェブサイト)を見ると、断層すべりの大きいアスペリティが震源とポルトープランスの間にあり、破壊が震源から首都方向に走ったため、破壊の進行方向に生じるキラーパルスが人口の密集した首都地域を直撃したと考えられる。1995年兵庫県南部地震のとき、キラーパルスが阪神地域を襲ったため大被害が生じたことは震源近傍域の強震動記録で確かめられている。
活断層がどこにあるか事前に調査されていれば、首都地域における揺れの大きさは予測できた可能性が高い。
 30万人にも達する人々が亡くなったということは、阪神・淡路大震災の経験から、そのほとんどが倒壊家屋の下敷きになり逃げ場を失ったためと考えられ、数百万の建物がほぼ全壊した可能性が高い。このように大きな被害は単に揺れの大きさだけでも説明できない。国の中枢機関の建物がもろくも倒壊したことからも、殆どの家屋が耐震性を殆ど考えずに建てられていたと考えられる。
 日本ではまるで事情が異なり、ハイチ地震の大災害から学ぶことは何もないと、果たして言い切れるのだろうか?人口の密集した日本の大都市の耐震安全性が万全か点検の必要があるのではなかろうか?

(広報誌「地震本部ニュース」平成22年(2010年)4月号)

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