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  1. 地震・津波の提供情報
  2. コラム
  3. 新潟県中越沖地震から1年3

(広報誌「地震本部ニュース」平成20年(2008年)12月号)




 2007年7月16日に新潟県中越地方でM6.8の地震(新潟県中越沖地震)が発生し、震度6強の揺れが観測されました。それに伴い、周辺地域では約20cmの津波と約16cmの地殻変動も観測されています。本震の発震機構解は、北西−南東方向に圧縮軸を持つ逆断層型であると推定されていますが、この地震の発生メカニズムの詳細を知るには、余震観測をはじめとする詳しい調査観測が必要となります。特にこの地震は日本海の海底下で発生したため、陸域の既設観測網からでは正確な余震の震源位置がわかりません。
そこで陸域だけでなく海域観測も必要となりました。そのため、大学・関係諸機関の観測とともに、文部科学省の科学研究費補助金(特別研究促進費)(1)や科学技術振興調整費による大規模な調査観測が実施されました。本稿では、これらの調査観測の成果から得られたこの地震の特徴や震源域の構造に焦点を当てて述べることとします。


 地震は地下の断層運動で生じるもので、その断層の位置や形状を知るには本震後の余震分布や断層に伴う地殻変動が重要な情報となります。ところが、中越沖地震は日本海の海底下で発生したため、陸上の既存の観測点から決めた余震分布は北東−南西方向に並ぶものの、その詳細を知ることはできませんでした。そこで、東京大学地震研究所をはじめとする全国の大学・関係機関の研究者は、合同で陸域と海域に臨時観測点を展開し(2)(3)、大規模な余震観測を実施しました。陸域の臨時観測では47観測点が臨時に設置され、海域では32台の自己浮上型海底地震計(OBS)が投入されました。これらの観測データからこれまでの解析によって得られた余震分布を図1に示します(3)。これらの震源は、気象庁一元化震源に対して総じて約7km程度浅く、余震分布の北東部(本震付近)では、互いに共役な高角・北西傾斜の面と低角・南東傾斜の面が混在し、本震の震源は北西傾斜の面の深部に位置することがわかりました。一方、震源域中央部から南部では、南東傾斜の余震分布が支配的です。この南東傾斜の余震分布は余震域全体の約2/3の面積を占め、その中央部の余震が発生しない広い領域は、波形解析から得られた本震のすべり量が大きな部分と一致しています。


 最近の内陸地震に対する稠密余震観測の成果によれば、地震断層と周辺の地殻構造との間には密接な関係があります。例えば2004年中越地震では、この地域に発達している厚い堆積層と基盤層の境界域や基盤内の低速度域の近傍で破壊が生じたとされています。地殻構造を探るには、制御震源による構造探査と自然地震観測(余震観測)によるトモグラフィ解析といった方法があります。中越沖地震でも、これら二つの方法で地殻内の構造が調べられました(4)。制御震源探査では、P波速度3−5km/sの堆積層が3−4.5kmの厚さで存在し、日本海側に向かって更に厚くなっています。日本海沿岸の強い揺れは、この厚い堆積層が原因です。この堆積層は、中新世の日本海の生成と拡大、その後のプレート沈み込みに伴う圧縮応力によってできたもので、得られた構造もその発達過程を示しています。堆積層の中に発達している活断層や活褶曲も、実はこのような地質的環境で生成されたものなのです。
また、この堆積層はその東側の魚沼丘陵西縁下で急激に薄くなります。
余震は、日本海側の厚い堆積層の下の、深さ10−18kmの場所で発生していることがわかりました。
 トモグラフィ解析では、余震域全体の3次元的構造を得ることができます。
その結果、震源域北部では上に凸の形状を呈する高速度体がイメージングされ、その凸部に沿って余震が発生しています(2)(図2)。また、震源域中央部から南部では、逆に高速度体は凹部で、その境界に沿って地震が発生しています。震源分布とともに、構造も北部と中部・南部で大きな違いのあることがわかりました。


 この地震の断層面を、実際に観測された地震波形から推定する研究も行われました(5)。この研究では、断層面が北西傾斜の場合と南東傾斜の2つの場合を想定して地震波形を理論的に計算し、実際の波形との比較がなされました。しかし、断層が海域にあり、しかも観測点が陸域(即ち断層の東側)に偏在しているため、どちらのモデルが正しいかを特定するには至りませんでした。しかし、柏崎刈谷原子力発電所の記録では大震幅のパルス状の波が観測されており、それを断層面状のアスペリティから出たと仮定してその位置を推定すると、南東傾斜の断層面の方が都合のよいことがわかりました。
しかし、先に述べたように北東側の余震の中には明らかに北西傾斜の分布を示すものもあり、しかも本震の位置はこの北西傾斜の地震群の中にあります(2)(6)。従って、大局的にはこの地震は南東傾斜断層であるとしても、破壊開始は北東部の北西傾斜の面であった可能性が残されています(6)。この考えに立てば、地震の破壊はまず北東部で始まり、構造的な境界を越えて南西部に進展し、そこで大きなエネルギーの地震波を放出したということになります(図3)。
 震源域の西方海域には、今回の震源断層と平行な走向を持つ活断層や活褶曲が報告されています。地表(海底)で見られるこれらの断層帯と地下の震源断層との関係についてはまだ明確になってはいません。また、この地震の初期破壊が、上述のように北西傾斜の面であったとすれば、震源域の東側の活断層群、特に長岡平野西縁断層帯との関係も考慮する必要があるでしょう(6)。


 2004年の中越地震、そして今回の中越沖地震は、歪み集中帯と呼ばれる日本海側の極めて構造の複雑な地域に発生した地震です。その構造が極めて不均質であり、余震分布から推定される震源断層や破壊過程も複雑です。このような地震を理解し、その発生のメカニズムを解明するには、今回行われたような迅速かつ大規模な調査観測を実施するとともに、その背景である場の性質を理解するための調査(活断層・活褶曲の調査や地殻の3次元的構造調査等)を地道に推進することが重要でしょう。

参考論文
(1)岩崎他,2008,2007年新潟県中越沖地震に関する総合調査,平成19年度科学研究費補助金(特別研究促進費)研究成果報告書.
(2)Kato et al., 2008, Earth Planet Space,60(印刷中).
(3)Shinohara et al., 2008, Earth Planet Space, 60(印刷中).
(4)蔵下他,2008, 地球惑星科学関連学会予稿集.
(5)纐纈,2008,サイスモ,第12巻.
(6)平田・他,2008, 科学,第78巻.

(広報誌「地震本部ニュース」平成20年(2008年)12月号)

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