新潟県中越地震から3年足らずの2007年7月16日、新潟県を再び襲った中越沖地震から1年が経ちました。
被災地は徐々に落ち着きを取り戻しつつ、復旧・復興への歩みを続けています。国内外からの温かいご支援に心から感謝申し上げます。
中越沖地震は規模や震度は中越地震と類似するものの、中山間地のインフラを大きく損壊した中越地震に対し、中越沖地震は地方の中堅都市の個人住 宅や商店街など生活を直撃したほか(写真1、2)、原子力発電所が被災するなど、被害の様相は大きく異なっています(表1)。中越地震の経験を活か しつつ、新たな事態への対処も求められた中越沖地震対応について特徴的な点をご紹介します。
中越地震後、「被災者救援部」「食料物資部」など既存の部局を越えた組織と、通常業務とは別に指名した要員で構成する体制に改組した本部を、初め て稼働させました。避難所の運営や食料の供給など災害時の特殊業務に対し、迅速で総合的な対応を行う上では、有効に機能したと思われます。
また、大学や地元企業等のネットワークの協力により、本部内に「地図作成班」を設置。GISにより被害や復旧状況に関する電子地図を作成し、本部会議での状況認識の統一や、県民への情報提供など、災害対応にリアルタイムで活用しました(図1)。
中越地震でいわゆる「災害関連死」による多くの犠牲者が出た経験に加え、今回は真夏の猛暑という悪条件もあり、被災者の方々の健康対策、特に要援護者支援が大きな課題でした。
現地保健福祉本部の設置、福祉避難所の設置(写真3)、被災地域全世帯を対象とする健康福祉ニーズ調査、エコノミークラス症候群対策のための巡回相談、心のケアチームによる支援などを行うとともに、避難所の暑さ対策として、エアコン(米軍提供)や扇風機設置、氷柱の配布を行いました(写真4)。また、仮設住宅においても、生活支援相談員の個別訪問による福祉的見守り支援を行っています。
残念ながら被災のストレスが原因で亡くなった方もおられますが、健康被害は比較的小さく抑えられたと思われます。
避難所や相談窓口などに多数の県職員を派遣しながら、市町村と連携し、被災者の方々の状況を積極的に把握し、ニーズに即したきめの細かい支援に努 めました。
温かい食事の提供や、衛生管理のための生活用水の確保のほか、プライバシー保護など、生活環境の改善を図っています。
なお、食料・物資の供給については、当初、市町村からの配送がネックとなりましたが、専門の流通業者の協力を得て、配送センター設置や荷さばきの ノウハウを支援することで解消できました。
避難生活の解消や今後の生活再建に向けては、被災者の個別ヒヤリングを行い、その調書に基づく具体的な相談支援に努めました。また、運用財産1,600億円の新潟県中越沖地震復興基金を設置し、被災者の自立支援や地域の総合的な復興対策に充てています。
原子力発電所の被災もあって広がった風評被害には、全国紙を通じた情報発信や、PRイベントなどの対策を実施しました。しかし、風評被害の強調が逆に風評被害を招くとの指摘もあり、プラス情報としての地域の魅力を粘り強くアピールしていく必要があります。
被災地では道路などインフラの復旧が進み、住宅や商店街の再建など復興に向けた様々な取り組みも進みつつありますが、今なお、2,100世帯を超え る方々(8月末現在)が仮設住宅での不自由な生活を余儀なくされています。
1日も早く被災者の方々の生活再建と地域の復興を成し遂げること。そしてその教訓を全国に発信して今後の災害対応に役立てていただくこと。それが、ご支援への恩返しにもなると考えています。
*新潟県ホームページ 新潟県中越沖地震関連情報 〔URL〕https://www.pref.niigata.lg.jp/site/bosai/0716jishin.html
松浦 直人(まつうら・なおと)氏
新潟県防災局危機対策課 課長補佐。平成19年10月より現職。平成16年新潟県中越地震(情報収集班)、平成19年新潟県中越沖地震(統括調整グループ)の県災害対策本部要員として、地震災害対応に従事。
新潟県防災局危機対策課 課長補佐。平成19年10月より現職。平成16年新潟県中越地震(情報収集班)、平成19年新潟県中越沖地震(統括調整グループ)の県災害対策本部要員として、地震災害対応に従事。
(広報誌「地震本部ニュース」平成20年(2008年)9月号)