相模トラフ
相模湾から房総半島南東沖にかけての相模トラフ沿いの地域及び南関東地域の直下では、これらの領域を震源域とする被害地震が繰り返し発生しています。
相模トラフは、日本列島が位置する陸のプレートの下に、南方からフィリピン海プレートが沈み込んでいる場所です。プレート境界が固着していることにより、沈み込みに伴って、両プレートの間にはひずみが蓄積されています。過去にはこのひずみを解放する大地震が発生しており、近年では大正関東地震(1923年)がこれにあたります。
また、南関東地域直下では、南側から沈み込むフィリピン海プレートの下に、東側の日本海溝から太平洋プレートが沈み込んでおり、非常に複雑な地下構造を呈しています。この付近では、これまでにM7程度の地震が多く発生していることが知られており、近年では千葉県東方沖地震(1987年)がこの例にあたります。
相模トラフ周辺のプレート境界 |
評価対象領域 (図をクリックすると大きな画像が表示されます) |
【 将来の地震発生の可能性 】 【相模トラフ沿いの地震の過去の発生状況と被害 】 【 リンク 】
○将来の地震発生の可能性 [上に戻る]
【相模トラフ沿いのM8クラスの地震】
地震の規模 : M8クラス(M7.9~M8.6)
地震発生確率: 30年以内に、ほぼ0%~6% (地震発生確率値の留意点)
地震後経過率: 0.17-0.56 (地震後経過率とは?)
平均発生間隔: 180年-590年
最新発生時期: 1923年大正関東地震
【プレートの沈み込みに伴うM7程度の地震】
地震の規模 : M7程度(M6.7~M7.3)
地震発生確率: 30年以内に、70%程度 (地震発生確率値の留意点)
詳しい内容を知りたい方は、「相模トラフ沿いの地震活動の長期評価(第二版)」をご覧下さい。
○相模トラフ沿いの地震の過去の発生状況と被害 [上に戻る]
【相模トラフ沿いのM8クラスの地震】発生年月日 | 地震の規模 | 被害等 |
1923年9月1日 (大正関東地震) |
M7.9 | 1923年9月1日に相模湾、神奈川県全域、房総半島の南部を含む相模トラフ沿いの広い範囲を震源域とする地震(M7.9,Mt8.0,Mw7.9)がありました。関東地方の南部の広い範囲で当時の震度階級で震度6が観測されましたが、家屋の倒壊状況などから相模湾沿岸地域や房総半島南端では、現在の震度7相当の揺れであったと推定されています。各地で家屋の倒壊、山崩れ、崖崩れなどが生じたほか、沿岸部を津波が襲いました。津波の高さは静岡県の熱海で12m、房総半島の相浜で9.3mとなり、震源域に近い熱海では地震発生後約5分で津波が到達しました。さらに東北地方から九州地方にかけての太平洋沿岸でも津波が観測されました。また、地震直後に発生した火災が被害を大きくし、全体として、死者、行方不明者合わせて約10万5千名の被害を生じました。この地震に伴って、小田原付近から房総半島先端にかけての地域で、地盤が最大約2m隆起し、南東方向へ2~3m移動したことが観測されました。また、それより内陸の東京都南西部から神奈川県北部にかけては、地盤が数十cm沈降しました。この地震はM7.3を最大とする規模の大きな余震を伴いました。 翌年の1924年1月15日に神奈川県西部で発生した地震(丹沢地震,M7.3)も関東地震の余震の一つであると考えられています。神奈川県南部を中心として死者19名、負傷者638名を数え、全壊家屋は1000棟を超えました。 |
1703年12月31日 (元禄関東地震) |
M7.9 ~ M8.2 |
1703年12月31日に相模湾から房総半島の先端部、房総半島南東沖の相模トラフ沿いの地域を推定震源域とする地震(M7.9~8.2,Mt8.4)がありました。関東地方の南部を中心に強い地震動が広範囲に生じ、被害状況から、関東地方の南部の広い範囲で震度6相当、相模湾沿岸地域や房総半島南端では震度7相当の揺れであったと推定されています。特に当時の小田原領内で被害が大きく、川崎から小田原までの宿場はほぼ全滅し、領内の死者は約2300名となりました。また、房総半島や相模湾の沿岸部を中心に津波が襲い、特に房総半島では6500名以上の死者が生じたと推定されています。全体として、地震動や津波などにより、死者1万人以上などの被害を生じました。この地震に伴って、房総半島から相模湾沿岸にかけての地域で、海岸が最大約6m隆起したと考えられています。 1703年元禄関東地震と1923年大正関東地震では、被害の範囲や地殻変動の様子がよく似ていることから、これらの地震が発生した場所は同じかごく近いと考えられています。ただし、房総半島の被害や地殻変動の大きさが1703年元禄関東地震の方が大きいことや、1703年元禄関東地震では津波が外房方面にもあったことから、元禄関東地震は大正関東地震より、房総半島側に震源域が広がっていたと考えられます。 |
1495年9月12日 (明応鎌倉の地震) |
? | 1495年9月12日に神奈川県の鎌倉付近を津波が襲い、鎌倉大仏殿に達したとされ、溺死者が200人生じたと言われています。この地震は歴史記録が1点のみであること、当時鎌倉に大仏殿は無かった可能性が大きいことから、京都で同日の地震が記録されているものの、1498年の東海地方の地震との混同と考えて、実際には大被害はなかった地震とされています。伊豆半島東岸の宇佐美遺跡で発見された津波堆積物がこれに対応する説をとれば、相模トラフ沿いのM8クラスの地震であった可能性も否定できませんが、大仏殿が無かったとすれば信憑性の高い歴史記録の裏付けは無く、1箇所の堆積物調査のみを根拠とする地震となります。 |
1433年11月6日 (永享相模の地震) |
M7.0 以上 |
1433年11月6日に、相模辺りを震源域とする地震(M7.0以上)があった。神奈川県の鎌倉や大山で被害が発生しました。余震が多くありました。当時東京湾に注いでいた利根川で水が逆流したといわれていますが、津波があったかは不明です。 |
1293年5月27日 (永仁関東地震) |
M7.0 | 1293年5月27日に、相模湾を震源域とする地震(M7.0)がありました。神奈川県の鎌倉付近を強震が襲い、寺社に大きな被害が生じています。死者は、数千とも2万以上ともいわれています。三浦半島の小網代湾では、この時期に対比される可能性のある津波堆積物が発見されており、この地震によって、津波が発生した可能性も指摘されています。また、房総半島の保田低地に分布する離水段丘地形にも、この地震に対比できるものがあることから、地殻変動も生じたと考えられています。国府津−松田断層においては、曽我原地点におけるトレンチ調査にこの地震に対比できる可能性のある活動の証拠(12世紀以後西暦1350年以前)が報告されています。 |
1257年10月9日 (正嘉鎌倉の地震) |
M7.0 ~ M7.5 |
1257年10月9日に、鎌倉付近を震源域とする地震(M7.0~7.5)がありました。鎌倉付近を強震が襲い山崩れや家屋倒壊、液状化が発生し、余震も多数あったといわれています。岩手県久慈に津波が襲来したという歴史記録もありますが、これを除いて、震源は相模湾内である可能性が高いと考えられています。歴史記録が少なく規模がM8クラスである可能性も残ります。 |
【プレートの沈み込みに伴うM7程度の地震】
発生年月日 | 地震の規模 | 被害等 |
1987年12月17日 (千葉県東方沖の地震) |
M6.7 | 1987年12月17日に千葉県の茂原辺りで地震(M6.7,Mw6.5)がありまし。震源は九十九里浜付近のやや深い場所とされています。千葉市、銚子市、勝浦市では震度5が観測され、千葉県を中心に木造家屋の屋根瓦の崩落、急傾斜地の崩壊などが顕著であり、ブロック塀の倒壊によって死者2名の被害が生じました。また、東京湾沿岸、九十九里平野、利根川流域沿いなどの比較的やわらかい地盤に液状化の被害が多く見られました。なお、この地震に伴う津波は観測されていません。 |
1922年4月26日 (浦賀水道付近の地震) |
M6.8 | 1922年4月26日に浦賀水道辺りで地震(M6.8)がありました。関東、甲信で震度4~3を観測し、秋田や福井県の敦賀まで有感となりました。東京湾沿岸で被害があり、東京で土蔵・石造・煉瓦造等の建物に小被害を与えました。横浜の山下町・南京町で建物の被害が大きく、東京・横浜合わせて死者2名、負傷者23名を数え、三浦半島・房総半島の各地で土壁の落下や建物の破損等の被害がありました。なお最近では、1988年8月12日に浦賀水道付近でM5.3の地震があり、最大震度4、東京でガラス破損等の軽微な被害がありました。 |
1921年12月8日 (茨城県南部の地震) |
M7.0 | 1921年12月8日に茨城県の龍ケ崎辺りで地震(M7.0)がありました。関東を中心に東北地方や中部地方の一部で震度4~3を観測しました。死傷者は記録されておらず、龍ケ崎や千葉県印旛郡で家屋や道路の損壊などが生じる程度の小被害でした。 |
1895年1月18日 (茨城県南部の地震) |
M7.2 | 1895年1月18日に霞ヶ浦辺りで地震(M7.2)がありました。死者9名、負傷者68名を数え、全壊家屋も多くありました。局部的被害はそれほど大きいとはいえませんが、被災範囲が広く、特に茨城県の鹿島・ |
1894年10月7日 (東京湾付近の地震) |
M6.7 | 1894年10月7日に地震(M6.7)がありました。この地震は東京都東部では屋根や壁等に小被害をもたらし、横浜では所々で壁土が剥離しました。従来は次の地震の余震と考えられていましたが、波形が異なることや、燈台の震度報告などまで勘案して、浦賀水道あたりのやや深い地震ではないかとする説があります。浦賀水道とすれば、最近では1992年2月2日にM5.7の地震があり、最大震度5、東京等で負傷者34人と類似するかに見えます。 |
1894年6月20日 (明治東京地震) |
M7.0 | 1894年6月20日に地震(M7.0)がありました。東京湾沿岸を中心に強い地震動が生じ、東京都東部、神奈川県東部、埼玉県南東部などでは震度5相当、一部では震度6相当の揺れでした。東京・横浜などの東京湾沿岸で煉瓦作りの煙突破損などが多く発生し、全体として、死者31名などの被害が生じました。また、各地で地盤の液状化などが生じました。 |
1855年11月11日 (安政江戸地震) |
M7.0 ~ M7.1 |
1855年11月11日に地震(M7.0~7.1)がありました。関東地方の広い範囲で強い地震動が生じ、特に東京都東部、神奈川県横浜市、千葉県木更津市などでは震度6強程度の揺れであったと推定されています。また、この地震によって、日比谷の入り江を埋め立てて作られた江戸城東側の大名小路(現在の千代田区丸の内辺り)や、大正関東地震でも火元となった東京都の神保町などで火災が生じました。さらに、埼玉県幸手市など各所で地盤の液状化が生じたことが知られています。全体として、死者7000名以上などの被害が生じまし。なお、この地震による津波の報告はありませんが、余震は数多く発生しました。また、歴史の史料には、この地震の発生前に地下水の湧出や地鳴り、磁石の弱まりなどの現象があったという記録があります。 |
1853年3月11日 (嘉永小田原地震) |
M6.7 ±0.1 |
1853年3月11日に地震(M6.7±0.1)がありました。小田原で被害が大きく、小田原城が大破し、城下の多くの建物が全半壊の被害を被りました。小田原から関本(現南足柄市)に至る地域各所においても多くの農家が潰れました。北方の山北町や小山町にも震度5以上のところがありました。箱根も揺れが強く、真鶴、大磯、鎌倉あたりでも多少の被害が生じました。死者は少なくとも24人。江戸は震度4の強~5の弱程度。震源域の主要部は小田原~関本あたりの内陸で、海底下に震源域は想定していませんが、3~4mの引き潮になる津波が真鶴湊であったことが示されています。 |
1782年8月23日 (天明小田原地震) |
M7.0 | 1782年8月23日に地震(M7.0)がありました。死傷者が多数あり、小田原での全壊家屋は800棟を超えました。最大震度は5相当であり、神奈川県西部・山梨県東部・静岡県東部・箱根山北麓及び小田原で被害が大きかったです。網代村(現熱海市)の波よけ堤防が崩壊し、静岡県の熱海村(現熱海市中心街)で被害のない津波があったという説もありますが、震源域は国府津−松田断層の北部付近の内陸と推定され、津波は伴いませんでした。 |
1649年7月30日 (慶安武蔵の地震) |
M7.0 ±1/4 |
1649年7月30日に地震(M7.0±1/4)がありました。荒川沿いに沖積層が厚い川越などで被害が最も多く、町屋が700軒ほど大破したほか、田畑が1m弱沈降しました。江戸城でも二ノ丸の塀などが破損したほか、武家屋敷で倒壊や破損がありました。日光でも破損被害がありました。死者は50人余。余震が1ヶ月以上あったといわれています。従来1931年西埼玉地震のような川越付近の浅い地震とされてきましたが、江戸での被害から、埼玉県中部のやや深い地震とする説もあり、その場合の規模はM6.5~6.7となります。 |
1648年6月13日 (慶安相模の地震) |
M7.0 | 1648年6月13日に地震(M7.0)がありました。小田原城で石垣や櫓の破損被害があったほか、小田原領内で家屋倒壊が多くありました。箱根で落石により死者1名。江戸では船のように揺れて瓦が落ちて土蔵などが破損したといわれていますが、やや長周期のゆれであったとするならば、震源は浅いと考えられます。京都で有感という歴史記録もあり、やや深い地震であれば規模は小さくM6.0程度となりますが、江戸での揺れを表面波によるものとすれば、足柄平野付近の浅いM7.0程度の地震となります。 |
1633年3月1日 (寛永小田原地震) |
M7.0 ±1/4 |
1633年3月1日に地震(M7.0±1/4)がありました。小田原での揺れが最も強く、小田原城と城下(小田原市内)の民家の倒壊が多く、小田原市内での死者は150人を数えました。地割れや泥水の湧出もありました。死者はあまり多くなかった可能性が高いです。箱根では落石があり、交通障害が生じ、静岡県の沼津・三島・吉原でも被害が見られました(震度5~6)。網代では山崩れが発生しました。江戸では震度5未満でした。また、熱海・網代・宇佐美では3~4mの津波に襲われて、特に宇佐美では津波が顕著な引き潮で始まり、しばらくして上げ潮が襲いました。震源域は小田原直下とその沖合の海底面と推定されています。国府津−松田断層の海域延長部も震源域の候補です。 |
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地震動予測地図等
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