日向灘
この領域では、M7.6前後の規模の地震のほか、ひとまわり小さいM7.0〜7.2程度の規模の地震が発生することが知られています。日向灘周辺で発生するM7程度の地震の多くは、フィリピン海プレートと陸のプレートの境界で発生するプレート間地震です。例えば、日向灘で発生した1961年の地震(M7.0)、「1968年日向灘地震」(M7.5)及び1984年の地震(M7.1)などがあります。この地域では、このようなM7程度の地震が十数年から数十年に一度の割合で発生していますが、M8以上の巨大地震が発生したという記録はありません。日向灘周辺で発生する地震では、周辺の沿岸各地に地震の揺れによる被害のほか、震源域が浅い場合には、津波被害が生じることがあります。
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【 将来の地震発生の可能性 】 【 もしこの地震が発生したら 】
【 日向灘の地震の過去の発生状況と被害 】 【 リンク 】
○将来の地震発生の可能性 [上に戻る]
≪プレート間地震≫
地震の規模 : M7.6前後
地震発生確率: 30年以内に、10%程度 (地震発生確率値の留意点)
平均発生間隔: 約200年
≪ひとまわり小さいプレート間地震≫
地震の規模 : M7.1前後
地震発生確率: 30年以内に、70%〜80% (地震発生確率値の留意点)
平均発生間隔: 約20年〜27年
詳しい内容を知りたい方は、「日向灘および南西諸島海溝周辺の地震活動の長期評価」( html版 / PDF版(19MB) )をご覧下さい。
○もしこの地震が発生したら [上に戻る]
ケース1 (1968年日向灘地震の震源断層) |
ケース2 (1662年の日向灘の地震の震源断層) |
○日向灘の地震の過去の発生状況と被害 [上に戻る]
≪プレート間地震≫発生年月日 | 地震の規模 | 被害等 |
1662年10月31日 (寛文2) |
M7.6 | 日向灘付近の地震のなかでも最大の被害をもたらしたもの。佐土原で城破損、潰家800余棟、死者多少(推定震度6強)。県(現・延岡市)で城の石垣破損、領内の潰家1300余棟、死者5(推定震度5強)。秋月(現・高鍋)で城の石垣崩れ崩家287棟(推定震度6)。飫肥で城の石垣破れ、領内で潰家1,213棟(うち水没246棟)、死者15、山崩れ・津波あり(推定震度6弱)。別府湊で破船10余隻、穀類約6000潮に濡れる。日向那珂郡の沿岸7ヶ村、周囲約32kmの田畑8500石余の地没して海となる。青島付近で約1m地盤が沈下した。この地震による津波は宮崎を中心に延岡〜大隅沿岸にあふれ、宮崎沿岸での津波の高さは4〜5m、日向灘で発生した最大級の津波であった。津波や地震動による被害の様子から、日向灘沖合の浅いところが震源であった可能性が高い。 |
1968年4月1日 (昭和43) (1968年日向灘地震) |
M7.5 | 被害は高知・宮崎・愛媛・熊本・大分5県にわたり、負傷者15名、住家全半壊3棟等、高知県が最も多かった。また港湾施設に小被害が生じた。宮崎県延岡と高知県宿毛で震度5を観測した。この地震により津波が発生し、床上浸水56棟、および船沈没破損3隻の被害が生じた。津波の検潮記録から得られた最大全振幅は室戸岬124cm、土佐清水236cm、宿毛224cm、臼杵135cm、蒲江240cm、北浦150cm、細島132〜198cm。他方、津波の実測による高さは四国南西部で最大3m以上となり、津波による被害も発生した。 |
発生年月日 | 地震の規模 | 被害等 |
1931年11月2日 (昭和6) |
M7.1 | 。宮崎県・鹿児島県・熊本県南部の広域、および山口県南部で震度5を観測した。宮崎県では宮崎・都城・佐土原・生目を中心に被害が大きく、死者1名、負傷者29名、家屋全半壊14棟の他、地割れ、道路損壊、山崩れ、地滑り、橋梁破損被害が生じた。鹿児島県でも志布志で家屋全半壊12棟の被害があった。宮崎市内海の沖で海震を感じた。検潮記録による津波の最大全振幅は串間6cm、宇和島7cm、土佐清水50cm、串本14cmであった。 |
1941年11月19日 (昭和16) |
M7.2 | 宮崎県宮崎市、延岡市および高知県宿毛市、熊本県人吉市で最大震度5を観測し、全体で死者2名、負傷者18名、建物全壊27棟の被害があった。この地震による被害は熊本県人吉市で最大であり、死者1名、負傷者5名、住家全壊6棟を伴った。延岡では石垣の破損・道路の亀裂・堤防の小破損等があり、日向市細島の検潮場で約8cm地盤が沈降、宮崎ではほとんどの家の壁に亀裂・剥落が見られた。その他宇和島・宿毛で軽微な被害があった。他方、日向灘沿岸で津波があり、最大の波高は1m(細島・青島・宿毛)で船舶に若干の被害を生じた。 |
1961年2月27日 (昭和36) |
M7.0 | 宮崎県南部で最大震度5を観測し、宮崎県と鹿児島県で死者2名、負傷者7名、建物全半壊18棟等の被害。宮崎県では中部・南部・南西部に被害があり、橋脚沈下、飛行場滑走路の亀裂等を生じた。鹿児島県では大隅半島で家屋の全半壊が多く死傷者を出した。また、地震後に小津波があり、油津では地震後1分足らずで津波がきた。波高は土佐清水50cm、細島45cm、油津34cmで被害はなかった。他方、検潮記録による津波の最大全振幅は土佐清水95cm、細島75cm、油津90cm。 |
1984年8月7日 (昭和59) |
M7.1 | 被害は負傷者9名、建物の一部損壊29棟、道路損壊3箇所、崖崩れ12箇所等。大分県から宮崎県にかけての沿岸部、および宇和島・熊本で震度4を観測し、検潮記録による津波の最大全振幅は延岡・土佐清水で28cm、室戸岬で20cmを観測。発震機構の張力軸の傾きがフィリピン海プレートの沈み込み方向に沿っていることや、余震域が小さいことから、プレート内地震である可能性がある。 |
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長期評価等
地震活動等
地方自治体等
【四国地方】