大分県
大分県に被害を及ぼす地震は、主に日向灘などの県東方の海域で発生する地震と、陸域や沿岸部の浅い場所で発生する地震です。
大分県とその周辺の主な被害地震 (図をクリックすると拡大表示)
東方の海域で発生する主な地震は、九州や四国の下に沈み込んだフィリピン海プレートと陸側のプレートとの境界付近で発生していると考えられます。このうち、日向灘北部〜豊後水道で発生する地震によって大分県内に大きな被害が生じています。ここでの地震は、M7以上の場合には津波を伴うことが多くあります。例えば、1769年の日向灘北部から豊後水道にかけての地震(M7 3/4)では、地震の揺れにより県内の諸城が破損し、多くの家屋が倒壊するなどの被害が生じました。さらに臼杵(うすき)で田畑に海水が浸入しました。1854年の安政南海地震(M8.4)直後に発生した1854年の伊予西部(豊後水道付近)の地震(M7.4)でも、かなりの被害が生じました。なお、1941年の日向灘の地震(M7.2)や1984年の日向灘の地震(M7.1)でも小さな被害が生じました。
南海トラフの大地震は大分県でも被害が生じます。例えば1707年宝永地震では、佐伯や臼杵など豊後水道沿いの地域は津波による家屋の流出などの被害を受けましたが、大きな揺れで多くの人が高台へ逃げて命は助かりました。
大分県は九州地方の下に深く沈み込んだフィリピン海プレート内の地震でも被害を受けることがあります。例えば、1898年の九州中央部で発生したM6.7の地震(深さ約150kmと推定)で被害が生じました。また、宮崎県西部での1909年のM7.6の地震(深さ約150km)でも、県南部の沿岸地域で崖崩れや家屋への被害が生じました。
陸域の浅いところで発生した被害地震の多くは、別府−島原地溝帯に沿って発生しており、県内では別府湾周辺から湯布院町、庄内町(旧名、ともに現在の由布市)周辺で多く発生しています。歴史の資料によると、1596年別府湾の地震(M7.0)では別府湾周辺の各地に大きな被害が生じました。最近では、1975年1月に阿蘇カルデラ北部の群発地震(最大M6.1)が、さらに同年4月には大分県中部の地震(M6.4)が発生しました。大分県中部の地震の被害地域は大分県内の庄内町、湯布院町、九重(ここのえ)町、直入(なおいり)町(旧名、現在の竹田市)、野津原(のつはる)町(旧名、現在の大分市)の5町に及びました。震源域に最も近い庄内町内山地区ではほとんどの住家が全半壊するなどの被害が生じました。この地震は、南北方向に引っ張られる力による正断層型あるいは横ずれ断層型の断層運動によるものでした。
周辺地域の浅いところで発生した規模の大きな地震によって被害を受けることもあります。例えば、679年の筑紫国の地震(M6.5〜7.5)によって、県西部と思われるところで山が崩れ、温泉が出たとする歴史の資料もあります。また、南海トラフ沿いの巨大地震のなかで、四国沖から紀伊半島沖が震源域になった場合、地震の揺れや津波による被害を受けています。例えば、1946年の南海地震(M8.0)では、死者4名や家屋全壊などの被害が生じました。
大分県の主要な活断層には、大分県の別府湾から熊本・大分県境まで延びる別府−万年山(はねやま)断層帯があります。短い活断層は佐賀関断層と福良木断層があります。
また、県内に被害を及ぼす可能性のある海溝型地震には、南海トラフの地震や、日向灘のプレート間地震、日向灘のひとまわり小さいプレート間地震、安芸灘〜伊予灘〜豊後水道のプレート内地震があります。
大分市などやや弱い地盤の場所では、地震が発生した場合には他の地域より揺れが大きくなる可能性があります。
佐伯市をはじめ県内の瀬戸内海から豊後水道沿岸の16市町村は、南海トラフの地震で著しい地震災害が生じるおそれがあり、「南海トラフ地震防災対策推進地域」に指定されています。また、豊後水道の沿岸部の4市は全て「南海トラフ地震津波避難対策特別強化地域」に指定されています。
【 大分県周辺の主要活断層帯と海溝で起こる地震 】
【 大分県に被害を及ぼした主な地震 】 【 リンク 】
○大分県周辺の主要活断層帯と海溝で起こる地震 [上に戻る]
地震 | マグニチュード | 地震発生確率 (30年以内) 【地震発生確率値の留意点】 |
|
海溝型地震 | |||
南海トラフ | 南海トラフで発生する地震 | 8〜9クラス | 70%程度 |
日向灘および 南西諸島海溝 周辺 |
安芸灘〜伊予灘〜豊後水道 | 6.7〜7.4 | 40%程度 |
日向灘プレート間地震 | 7.6前後 | 10%程度 | |
日向灘プレート間の ひとまわり小さいプレート間地震 |
7.1前後 | 70%〜80% | |
南西諸島周辺の浅発地震の発生領域 | − | − | |
九州から南西諸島周辺のやや深発地震 の発生領域 |
− | − | |
内陸の活断層で発生する地震 | |||
中央構造線断層帯 | 石鎚山脈北縁西部−伊予灘 | 8.0程度 もしくはそれ以上 |
ほぼ0%〜0.4% |
菊川断層帯 | 7.6程度 もしくはそれ以上 |
不明 | |
西山断層帯 | 大島沖区間 | 7.5程度 | 不明 |
西山区間 | 7.6程度 | 不明 | |
嘉麻峠区間 | 7.3程度 | 不明 | |
別府−万年山断層帯 | 別府湾−日出生断層帯 (東部) | 7.6程度 | ほぼ0% |
別府湾−日出生断層帯 (西部) | 7.3程度 | ほぼ0%〜0.05% | |
大分平野−由布院断層帯 (東部) | 7.2程度 | 0.03%〜4% | |
大分平野−由布院断層帯 (西部) | 6.7程度 | 2%〜4% | |
野稲岳−万年山断層帯 | 7.3程度 | ほぼ0%〜3% (最大2.6%) |
|
崩平山−亀石山断層帯 | 7.4程度 | ほぼ0% | |
布田川断層帯・ 日奈久断層帯 |
布田川断層帯(布田川区間) | 7.0程度 | ほぼ0%−0.9% |
布田川断層帯(宇土区間) | 7.0程度 | 不明 | |
布田川断層帯(宇土半島北岸区間) | 7.2程度以上 | 不明 | |
日奈久断層帯(高野−白旗区間) | 6.8程度 | 不明 | |
日奈久断層帯(日奈久区間) | 7.5程度 | ほぼ0%−6% | |
日奈久断層帯(八代海区間) | 7.3程度 | ほぼ0%−16% | |
水縄断層帯 | 7.2程度 | ほぼ0% | |
宇部沖断層群 (周防灘断層群) |
周防灘断層群主部 | 7.6程度 | 2%〜4% |
秋穂沖断層帯 | 7.1程度 | 不明 | |
宇部南方沖断層帯 | 7.1程度 | 不明 |
○大分県に被害を及ぼした主な地震 [上に戻る]
西暦(和暦) | 地域(名称) | M | 主な被害(括弧は全国での被害) |
679年 (天武7) |
筑紫 | 6.5〜7.5 | (家屋倒壊多数。) |
1596年9月1日 (慶長元) |
別府湾 (慶長豊後地震とも呼ばれる。) |
7.0±1/4 | 山崩れあり。別府湾沿岸で強い揺れ及び津波による被害大。 |
1703年12月31日 (元禄16) |
由布院・庄内 | 6.5±1/4 | 大分領山奥22ヶ村で死者1人、家屋全壊273棟。湯布院筋・大分領で家屋全壊580棟。 |
1707年10月28日 (宝永4) |
(宝永地震) | 8.6 | 県内の家屋倒壊250棟以上。津波が別府湾、臼杵湾、佐伯湾に来襲し流失家屋400棟以上。 |
1769年8月29日 (明和6) |
日向・豊後・肥後 | 7 3/4 | 佐伯で家屋破損。臼杵で家屋全壊531棟。大分で家屋全壊271棟。 |
1854年12月24日 (安政元) |
(安政南海地震) | 8.4 | 大分藩で死者18人、家屋全壊4,546棟。臼杵藩で家屋全壊500棟。 |
1854年12月26日 (安政元) |
伊予西部 | 7.4 | (安政南海地震の被害と区別が難しい。) 鶴崎で家屋倒壊100棟。 |
1857年10月12日 (安政4) |
伊予・安芸 | 7.3 | 鶴崎で家屋倒壊3棟。 |
1941年11月19日 (昭和16) |
日向灘 | 7.2 | 負傷者6人、住家・非住家全壊8棟。 |
1946年12月21日 (昭和21) |
(南海地震) | 8.0 | 津波あり。死者4人、負傷者10人、住家全壊36棟。 |
1968年4月1日 (昭和43) |
(1968年日向灘地震) | 7.5 | 負傷者1人。 |
1975年4月21日 (昭和50) |
大分県中部 | 6.4 | 一部の地下水、温泉に変化。負傷者22人、住家全壊58棟。 |
○リンク [上に戻る]
地震動予測地図等
活断層評価等
地震活動等
地方自治体等