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九州から南西諸島周辺のやや深発地震

 この領域の深さ60km〜150km程度の範囲では、1900年以降現在までに、M7.5以上の地震が、1909年(M7.6)、1911年(M8.0)の2度発生しており、ともに死者を伴いました。
 しかし、このような地震については、領域が広大で次の地震の発生場所を特定できないことから、次の地震の発生確率等は評価されていません。

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 【 九州から南西諸島周辺のやや深発地震の過去の発生状況と被害 】  【 リンク 】

○九州から南西諸島周辺のやや深発地震の過去の発生状況と被害  [上に戻る]

発生年月日 地震の規模 被害等
1909年11月10日
(明治42)
M7.6 宮崎県西部。有感範囲が広く、最大震度5の地域が九州、四国、および中国地方の広範囲に亘り、各地で落石、家屋破損等の被害を伴っているが、津波は観測されていない。死者は2名。宮崎県、高知県、愛媛県で各々負傷者数名。
1911年6月15日
(明治44)
M8.0 奄美大島近海。奄美大島や喜界島では震度6、沖縄島でも震度5の揺れがあったと推定される。有感範囲は非常に広く、近畿地方でも震度2〜3とされている。喜界島では、全島の家屋2,500棟の内401棟が全壊し、死者1名を伴ったほか、奄美大島では家屋全壊11棟、徳之島では崖崩れに伴う死者5名などの被害があった。震源から300kmほど隔たった沖縄島南部でも、598ヶ所に上る石垣が崩壊して、死者1名と負傷者11名を伴った。他方、津波については、奄美大島で多数の家屋が浸水し、大島北海岸では海水異常があったという記載がある他、喜界島赤連の市街に浸水した津波が、中心街を越えて丘のふもとまで達したという伝承がある。人的被害は合計死者12名、負傷者26名。この地震は、奄美で津波が大きかったものの、有感の範囲が広いことや、世界の観測網の資料からは震源の深さが140km程度と見積もられていることから、沈み込んだプレート内のやや深い地震とする考え方が有力。
(「日向灘および南西諸島海溝周辺の地震活動の長期評価」より)

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