平成14年5月8日
地震調査研究推進本部
地震調査委員会

山形盆地断層帯の評価


 

 山形盆地断層帯は、山形盆地の西縁に位置する活断層帯である。ここでは、平成9−11年度に山形県によって行われた調査をはじめ、これまで行われた調査研究成果に基づいて、この断層帯の諸特性を次のように評価した。

1 断層帯の位置および形態 

 山形盆地断層帯は、山形県の北村山郡大石田町(おおいしだまち)から上山市(かみのやまし)にかけて、概ね北北東−南南西方向に延びている。全体として長さは約60kmで、西側が東側に対して相対的に隆起する逆断層である。本断層帯は複数の断層から構成されており、断層帯北部ではこれらは並走して分布することがある(図1、2及び表1)。

2 断層帯の過去の活動

山形盆地断層帯は、概ね1−2m/千年の平均的な上下方向のずれの速度を有していると推定される。本断層帯は、過去約1万年の間に少なくとも3回活動し、最新の活動は約6千年前以後にあった可能性がある。活動時には、断層の西側が東側に対して相対的に4−5m程度隆起した可能性がある。本断層帯の平均的な活動間隔はおよそ3千年であった可能性がある(表1)。


3 断層帯の将来の活動

山形盆地断層帯では、断層帯全体が一つの活動区間として活動した場合、マグニチュード7.8程度の地震が発生する可能性がある。また、その時、断層の近傍の地表面では、西側が東側に対して相対的に4−5m程度高まる段差や撓(たわ)みが生ずる可能性がある(表1)。本断層帯の最新活動後の経過率及び将来このような地震が発生する長期確率は、表2に示す通りである(注1)。本評価で得られた地震発生の長期確率には幅があるが、その最大値をとると、本断層帯は、今後30年の間に地震が発生する可能性が、我が国の主な活断層の中では高いグループに属することになる(注1、2)。

4 今後に向けて

山形盆地断層帯の将来の活動性を明確にするためには、最新の活動時期、1回の活動におけるずれの量、及び活動間隔を精度良く求め、活動区間を正確に把握する必要がある。

  

表1 山形盆地断層帯の特性

表2 将来の地震発生確率等

注1: 我が国の陸域及び沿岸域の主要な98の活断層帯のうち、2001年4月時点で調査結果が公表されているものについて、その資料を用いて今後30年間に地震が発生する確率を試算すると概ね以下のようになると推定される。
98断層帯のうち約半数の断層帯:30年確率の最大値が0.1%未満
98断層帯のうち約1/4の断層帯:30年確率の最大値が0.1%以上−3%未満
98断層帯のうち約1/4の断層帯:30年確率の最大値が3%以上
(いずれも2001年4月時点での推定.確率の試算値に幅がある場合はその最大値を採用.)
この統計資料を踏まえ、地震調査委員会の活断層評価では、次のような相対的な評価を盛り込むこととしている。
今後30年間の地震発生確率(最大値)が3%以上の場合:
「本断層帯は、今後30年の間に地震が発生する可能性が、我が国の主な活断層の中では高いグループに属することになる」
今後30年間の地震発生確率(最大値)が0.1%以上−3%未満の場合:
「本断層帯は、今後30年の間に地震が発生する可能性が、我が国の主な活断層の中ではやや高いグループに属することになる」
注2: 1995年兵庫県南部地震、1858年飛越地震及び1847年善光寺地震の地震発生直前における30年確率及び集積確率(このうち、1995年兵庫県南部地震、1858年飛越地震については「長期的な地震発生確率の評価手法について」(地震調査研究推進本部地震調査委員会,2001)による暫定値)は以下のとおりである。
「長期的な地震発生確率の評価手法について」に示されているように、地震発生確率は前回の地震後、十分長い時間が経過しても100%とはならない。その最大値は平均活動間隔に依存し、平均活動間隔が長いほど最大値は小さくなる。平均活動間隔が3千年の場合は30年確率の最大値は8%程度である。
注3: 信頼度は、特性欄に記載されたデータの相対的な信頼性を表すもので、記号の意味は次のとおり。
 ◎:高い、○:中程度、△:低い
注4: 文献については、本文末尾に示す以下の文献。
文献1:池田ほか(2002)
文献2:今泉ほか(2001)
文献3:地震調査研究推進本部地震調査委員会(2001)
文献4:活断層研究会(1991)
文献5:松田(1990)
文献6:澤ほか(2001)
文献7:鈴木(1988)
文献8:鈴木・阿子島(1987)
文献9:宇佐美(1996)
文献10:山形県(1998)
文献11:山形県(1999)
文献12:山形県(2000)
文献13:八木ほか(2001)
文献14:山野井(2000)
文献15:山野井ほか(1986)
注5: 評価時点はすべて2002年1月1日現在。「ほぼ0%」は10−3%未満の確率値を示す。なお、計算に当たって用いた平均活動間隔の信頼度は低い(△)ことに留意されたい。
注6: 最新活動(地震発生)時期から評価時点までの経過時間を、平均活動間隔で割った値。最新の地震発生時期から評価時点までの経過時間が、平均活動間隔に達すると1.0となる。今回の評価の数字で、0.07は200年を3000年で割った値であり、2.0は6000年を3000年で割った値。
注7: 前回の地震発生から評価時点までに地震が発生しているはずの確率。


(説明)

1 山形盆地断層帯に関するこれまでの主な調査研究

山形盆地について、藤原(1967)、皆川(1970)は、弾性波探査資料やボーリング資料などから盆地東縁に伏在する断層の存在を推定し、その活動は第四紀まで継続していたことを指摘した。活断層研究会(1980,1991)、佐藤・池田(1980)、山野井ほか(1986)、鈴木(1988)は、地形学的手法により盆地西縁に複数の活断層の存在を指摘した。鈴木・阿子島(1987)は、盆地北西縁部において完新世に活動したことを示す断層露頭を発見し、この断層が横ずれ成分を有する可能性があることを指摘した。鈴木(1988)は、山形盆地と新庄盆地の変位地形の記載を行い、両盆地の活構造を比較して、これらにおける断層運動様式が異なることを明らかにし、これに基づいて両盆地の発達過程について考察した。小松原(1997)は、山形盆地の構造運動が西に偏った沈降運動を示していることから、この地域において従来活動度B級とされていた断層は、盆地の沈降を含めて考えた場合、活動度がA級となる可能性があることを指摘した。

山形県(1998、1999、2000)は、本断層帯を対象として、反射法弾性波探査、ボーリング調査、トレンチ調査などを行い、断層帯の構造や活動時期について新たな知見を得た。なお、本断層帯について大縮尺の空中写真を用いた再判読が行われ、その結果が都市圏活断層図「新庄」(澤ほか、2001)・「村山」(今泉ほか,2001)・「山形」(八木ほか,2001)にまとめられている。また、「第四紀逆断層アトラス」(池田ほか,2002)に、山形盆地とその北方の新庄盆地に分布する活構造が示されている。

2 山形盆地断層帯の評価結果について

2−1 断層帯の位置・形態

(1)山形盆地断層帯を構成する断層

本断層帯は、山形盆地とその西側の出羽丘陵との境界付近に位置する西上がりの断層である。

本断層帯を構成する断層の位置・形態は、活断層研究会(1980,1991)、山野井ほか(1986)、鈴木(1988)、山形県(1998)、都市圏活断層図「新庄」(澤ほか,2001)・「村山」(今泉ほか,2001)・「山形」(八木ほか,2001)、池田ほか(2002)などに示されている。これらでは、主要な断層分布についてほぼ共通した認識が示されている。ここでは、断層の位置及び名称は、都市圏活断層図「新庄」(澤ほか,2001)・「村山」(今泉ほか,2001)・「山形」(八木ほか,2001)によった。

本断層帯は、山形県の北村山郡大石田町(おおいしだまち)から上山市(かみのやまし)にかけて延びており、その北部で並走・雁行する駒籠(こまごめ)−横山断層、富並断層、高森山断層、湯野沢断層と、南部の寒河江(さがえ)−山辺(やまのべ)断層、村木沢断層、上山(かみのやま)断層によって構成される(図2)。これらは、村木沢断層と上山断層の隔たりが5km弱である以外は、相互の隔たりが3km以内で近接し、変位の向きを同じくする断層群であることから、松田(1990)の基準にしたがって、一つの起震断層を構成しているとみなすことにする。

本断層帯の東側に近接して分布する尾花沢(おばなざわ)−楯岡断層、半郷(はんごう)断層は、山形盆地とその東側の奥羽脊梁山脈との境界付近に位置する東上がりの断層(図3)で、新庄盆地断層帯(新庄盆地とその東側の奥羽脊梁山脈との境界付近に位置する東上がりの断層)と同系列のものと推定される。これらの断層は、本断層帯とは変位の向きが異なるので、評価の対象としないことにした。また、北方の新庄盆地の西縁に分布する鮭川断層は、新庄盆地と出羽丘陵との境界付近に位置する西上がりの断層(図3)で、本断層帯と同系列のものと推定されるが、本断層帯北部の駒籠−横山断層とは12km程度の隔たりがあることから、評価の対象としないことにした。

(2)断層帯の位置・形状

本断層帯全体の長さ及び一般走向は、図2に示された駒籠−横山断層の北端と上山断層の南端を直線で結んで計測し、それぞれ約60km、N10°Eとした。断層面上端の深さは、断層による変位が地表に達していることから0kmとした。

断層面の傾斜角及び深部形状については、それらを検討するための十分な資料はないが、断層露頭(山形県,1998,1999)や反射法弾性波探査結果(山形県,1999)などから、西傾斜と判断される。断層面下端の深さは、地震発生層の下限である15km程度と推定される。 

(3)断層の変位の向き(ずれの向き)(注8)

本断層帯は、活断層研究会(1980,1991)、山野井ほか(1986)、鈴木(1988)、山形県(1998,1999,2000)、都市圏活断層図「新庄」(澤ほか,2001)、「村山」(今泉ほか,2001)、「山形」(八木ほか,2001)、池田ほか(2002)などに示された変位地形や地質構造から、西側を東側に対して相対的に隆起させていると考えられる。本断層帯は、断層の西側に撓曲や膨らみを伴うことがあるので、西側が東側に乗り上げる逆断層と考えられ、村山市大林付近、山形市村木沢付近、及び山辺町大寺付近では、その一部と見られる露頭が知られている。なお、鈴木・阿子島(1987)は、本断層帯北部の山地内で、変位地形と断層露頭から、左横ずれ変位を示す活断層(大高根断層)の存在を指摘しているが、この断層と本断層帯との関連性については不明である。これ以外に、本断層帯の変位に横ずれが伴われていることを示す資料はない。

2−2 断層帯の過去の活動

(1)平均変位速度(平均的なずれの速度)(注8)

本断層帯の平均変位速度を評価するための資料として、以下のものがある。

@ 断層帯の北部の富並地点では、富並川に沿って分布する低位段丘面(L1面)は、左岸の富並付近で、並走する2列の西側隆起の断層で変位しており(今泉ほか,2001)、その変位量は西側の断層で10m、東側のそれで8−9mとされている(図4;鈴木,1988)。鈴木(1988)は、これより東側で同じL1面を変位させるもう1列の断層の存在を指摘しているので、この付近におけるL1面の上下変位量は20m以上に達していることになる。L1面の形成年代を約2−3万年前(鈴木,1988)とすると、これ以後の平均上下変位速度は0.7−1.0m/千年以上となる。
A 大石田町横山地点における山形県(2000)の地形測量、反射法弾性波探査、ボーリング調査及びトレンチ調査の結果をみると、トレンチに露出したC層は、上盤側で撓曲する地形面の延長部に位置していることから、その構成物である可能性がある(図5)。そこで、C層をこの地形面構成物とすると、その撓曲崖の比高(約7m)と前面における埋没深度(約5m)から、C層堆積面の上下変位量として約12mが導かれ、さらにC層上部(C1層)が約9千3百−9千9百年前の14C年代を示すことから、その後の平均上下変位速度は1.2−1.3m/千年程度となる。
B 山辺町大寺地点における山形県(1999)の地形測量、ボーリング調査の結果は、幅100−200mで比高12−14mの撓曲崖をつくる地形面の形成年代が約1万年前であることを示している(図6)。撓曲崖の前面では、その構成層の続きと見られる約1万年前の14C年代を示す地層(odW層)が低地面下約6mに埋没していることから、この地形面の上下変位量を約18−20mとすると、その後の平均上下変位速度は1.8−2m/千年となる。しかし、ボーリング地点が、変動崖の下部に偏っているので、約1万年前の14C年代を示す地層は、より新期に撓曲崖に付加されたものであり、比高12−14mの撓曲崖をつくる地形面はそれより古いことも考えられ、したがって、上記では平均変速度値を過大に評価している可能性がある。

上記のように、資料が少なく、また、いずれも変位量の見積もりや変位基準の年代推定に不正確さを伴っており、精度の高い数値とは言えない。AやBについては、変位基準がごく若く、長期間の平均値を求めるためには誤差が大きい。しかし、これらはともに本断層帯の平均上下変位速度が1m/千年前後もしくはそれ以上に達していることを示している。

以上のことから、@、A、Bを総合して、本断層帯の平均上下変位速度を概ね1−2m/千年と推定した。


(2)活動時期

 本断層帯の活動履歴に関する資料は、北部の大石田町横山地点、村山市山の内地点と、中−南部の寒河江市高瀬山地点、山辺町大寺地点で得られている。

@ 大石田町横山地点では、山形県(2000)が2つのトレンチを掘削した。本トレンチは、このうちの南側に位置するトレンチ(里集落地点)である。本トレンチは、丘陵基部から約300m離れた沖積低地内で認められる撓曲崖の基部で掘削された(図5)。トレンチ壁面には、約1万年前以後に堆積した、上方細粒化の堆積サイクルを繰り返し示す砂層と有機質粘土層の互層(E4層−A1層)が露出した(図7)。これらの地層群は、A1層を除きすべて、東へ傾斜している。この傾斜構造は、その認められる位置、傾斜の向きが、撓曲崖地形や反射法弾性波探査で明らかになったそれに対応する撓曲構造と調和することから、この断層帯の活動によって生じたものと推定される。A2−A4層、B1−B3層、及びC1層以下の各地層群は、それぞれ勾配を同じくしているが、地層群ごとに比較すると、下位の地層群ほど不連続的に傾斜度が大きく(A2−A4層の地層群;5−6°、B1−B3層の地層群;7−9°、及びC1層以下の地層群;13−15°)、より強く東傾斜するE4−C1層の上面にB1−B3層が、さらにこの上面にA2−A4層が、それぞれアバットしている。このことから、C1層堆積後でB3層堆積前と、B1層(ここでは強有機質層として図示されたものの上限をもってB1層の上面とする)堆積後でA4層堆積前の各時期に断層活動があった可能性がある。それぞれの断層活動の時期については、前者はC1層とB1層の14C年代から約9千3百−7千1百年前、後者はB1層とA1層の14C年代から約7千1百−1千5百年前となる。東へ傾斜するA2−A4層は、それが地表面と交差し、地表面で切られていること、また、山形県(2000)によると、トレンチ東方で掘削されたピットでは、A3層下面はほぼ水平であったとされていることから、A2層堆積後にさらに新しい断層活動があった可能性がある。その時期は、A4層下方の14C年代に基づくと約6千年前以後となる。
これらのことから、横山地点では、過去約1万年の間において少なくとも3回の断層活動が識別され、それぞれの活動は、約6千年前以後と、それに先立つ約7千1百−1千5百年前、及び約9千3百−7千1百年前にあった可能性がある。
A 村山市山の内地点では、鈴木・阿子島(1987)によって断層露頭が記載されている。ここでは、約1万年前に降下したとされる尾花沢軽石層(宇井ほか,1973)を含む低位段丘堆積物が変位しており、最近約1万年間に少なくとも1回の断層活動があったと考えられる。
B 寒河江市高瀬山地点では、本断層帯上盤側に位置する中位段丘面(八木ほか,2001)上で断層露頭が見いだされ、ここに現れた西傾斜の逆断層は、段丘堆積物を約2m上下に変位させている(図8;山形県,1999;山野井,2000)。この断層は、さらに表層の腐植土層まで切断しており、その腐植土層の14C年代から約9千8百年前以後に活動したと推定される。
C 山辺町大寺地点では、山形県(1999)が5つのトレンチを掘削した。本トレンチは、このうちの最も南側に位置するトレンチ@である。本トレンチは、丘陵基部から約400m東に離れた平野内に位置し、ここに認められる比高12−14mを有する撓曲崖の基部で掘削された(山形県,1999)。トレンチ壁面には、およそ1万年前以後に堆積した地層群(E4層−A層)と、これらの一部を変位させる西傾斜の逆断層(fa断層)が露出した(図9)。南壁面の西側上段で確認されたfa断層は、C1層とこれを覆うB3層の一部を上下に約30cm変位させているが、B3層中で不明瞭となり、上方への連続が分からなくなる。その上位のB2層は、層厚を著しく変化させることもなく、fa断層の上方延長部を横切って堆積しており、fa断層による変位を被っていないように考えられることから、C1層堆積後でB2層堆積前に断層活動があったと推定される。
これらのことから、ここで認められた断層の活動時期は、fa断層面の下に位置するB3層下部とB2層の14C年代に基づくと、約7千5百−3千8百年前となる。
ただし、この断層は規模が小さく、撓曲崖の途中で見いだされたものであることから、この付近での本断層帯のすべての活動を記録していない可能性がある。

上記の@、A、B、Cに基づく断層活動の時空間分布を図10に示す。

以上のことから、本断層帯の活動時期は、横山地点で明らかとなったデータに基づいて、最新活動が約6千年前以後、一つ前が約7千1百年前以後、約1千5百年前以前、及び二つ前が約9千3百年前以後、約7千1百年前以前にあった可能性があると判断した。なお、A、B、Cの資料が示す断層活動は、上記の3回の断層活動のいずれかにあたるとしても、とくに矛盾しない。

(3)1回の変位量(ずれの量)(注8)

上述したように、横山地点では、C層の堆積面(約9千3百−9千9百年前)が約12m上下に変位している可能性があり、この変位量は3回の断層活動で生じた可能性がある。この資料にもとづき、また、活動時の変位量が毎回同じと仮定すると、この付近での断層活動1回の変位量は4m程度(上下成分)となる。

一方、本断層帯の長さは約60kmであることから、次の松田(1975)の経験式に基づくと、1回の変位量は約4.8m(上下成分)となる。

LogL = 0.6M− 2.9 (1)
LogD = 0.6M− 4.0 (2)

ただし、Lは1回の地震で活動する断層の長さ(km)、Dは断層の変位量(m)、Mは地震のマグニチュード。

 以上のことから、本断層帯の活動1回の上下変位量は4−5m程度であった可能性があると判断した。

(4)活動間隔

本断層帯では、約9千3百年前以後に3回の断層活動があった可能性があることから、この間の平均活動間隔は3100年と算出される。1回の変位量(上下成分4−5m)と平均変位速度(上下成分1−2m/千年)に基づき試算すると、平均活動間隔は2000−5000年と求まり、上記の値はこの範囲にある。

以上のことから、本断層帯の平均活動間隔はおよそ3千年であった可能性があると判断した。

(5)活動区間

本断層帯では、活動区間を分ける根拠がないことから、断層帯全体を一つの活動区間として扱うことにした。 

(6)先史時代・歴史時代の活動

阿子島ほか(1997)、阿子島ほか(1998)は、寒河江市の三条遺跡において、地震動による噴砂と地盤流動化の痕跡を検出し、関係した地震の発生時期を13世紀頃と推定した。しかし、本断層帯との直接的な関係は不明である。

山形県では、少なくとも19世紀初頭から地震の記録があるが、本断層帯から発生したと考えられる被害地震の記述はない(宇佐美,1996)ので、最近約200年間はこの断層帯は活動していないと考えられる。

(7)測地観測結果

最近約100年間の測地観測結果によれば、山形盆地断層帯の北部周辺における歪は小さく、断層帯南部及びそれより南側では、東西・南北共に伸びが見られる。最近約4年間のGPS観測結果によれば、この断層帯周辺では東西方向の縮みが見られる。

(8)地震観測結果  

山形盆地断層帯付近においては、気象庁の地震カタログによれば、1926年以降マグニチュード5以上の地震は発生しておらず、全般的に活動は低調である。ただし、最近10年間の活動に注目すると、北部の湯野沢断層付近と南部の村木沢断層付近で、マグニチュード4程度の地震を最大とする、まとまった地震活動が見られる。最近の地震活動から、地震発生層の下限の深さは15km程度と推定される。

2−3 断層帯の将来の活動

(1)活動区間と活動時の地震の規模

本断層帯では、断層帯全体を一つの活動区間とした場合、上述した経験式(1)により本断層帯(長さ60km)から発生する地震の規模はマグニチュード7.8となる。これに基づくと、本断層帯で発生する地震の規模はマグニチュード7.8程度の可能性がある。

このような地震が発生した場合、西側隆起で4−5m程度の段差や撓みを伴う変位が生ずる可能性がある。

(2)地震発生の可能性

山形盆地断層帯の平均活動間隔はおよそ3千年で、最新の活動時期は約6千年前以後、約2百年前以前であった可能性がある。この断層帯では、最新活動後、評価時点(2002年)までの経過時間は約2百年−6千年で、平均活動間隔の0.07−2.0倍の時間が経過していることになる。最新活動時期の推定幅は広い範囲でしか得られておらず、また、平均活動間隔は信頼度が低いことに十分留意する必要があるが、地震調査研究推進本部地震調査委員会(2001)に示された手法(BPT分布モデル、α=0.24)によると、今後30年以内、50年以内、100年以内、300年以内の地震発生確率は、それぞれ、ほぼ0%−7%、ほぼ0%−10%、ほぼ0%−20%、及びほぼ0%−50%となる。また、現在までの集積確率は、ほぼ0%−90%より大となる(表3)。本評価で得られた将来の地震発生確率には幅があるが、その最大値をとると、本断層帯は、今後30年の間に地震が発生する可能性が、我が国の主な活断層の中では高いグループに属することになる。表3にこれらの確率値の参考指標(地震調査研究推進本部地震調査委員会長期評価部会,1999)を示す。

2−4 今後に向けて

本断層帯は、完新世に複数回の活動があった可能性がある。本断層帯の将来の活動性を明確にするためには、最新活動時期、1回の変位量、及び活動間隔を精度良く求め、活動区間を正確に把握する必要がある。また、地下における断層面の形状等を明らかにする必要がある。

注8: 「変位」を、1頁の本文及び4、5頁の表1では、一般的にわかりやすいように「ずれ」という言葉で表現している。ここでは、専門用語である「変位」が、本文や表1の「ずれ」に対応するものであることを示すため、両者を併記した。以下、文章の中では「変位」を用いる。なお、活断層の専門用語では、「変位」は切断を伴う「ずれの成分」と、切断を伴わない「撓みの成分」よりなる。
注9: 10,000年BPよりも新しい炭素同位体年代については、Niklaus(1991)に基づいて暦年補正した値を用いた。また、10,000年BPより古い炭素同位体年代については、Kitagawa and van der Plicht(1998)のデータに基づいて暦年補正した値を用いた。


文 献

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山形県(1999):平成10年度地震関係基礎調査交付金山形県活断層調査成果報告書.山形県,153p.

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表3 地震発生確率及び参考指標

注10: 評価時点はすべて2002年1月1日現在。「ほぼ0%」は10−3%未満の確率値を、「ほぼ0」は10−5未満の数値を示す。なお、計算に当たって用いた平均活動間隔の信頼度は低い(△)ことに留意されたい。
指標(1)経過年数: 当該活断層があることによって大地震発生の危険率(1年間当たりに発生する回数)は最新活動(地震発生)時期からの時間の経過とともに大きくなる(ここではBPT分布モデルを適用した場合を考える。)。一方、最新活動の時期が把握されていない場合には、大地震発生の危険率は、時間によらず一定と考えざるを得ない(ポアソン過程を適用した場合にあたる。)。この指標は、BPT分布モデルによる危険率が、ポアソン過程を適用した場合の危険率の値を超えた後の経過年数である。マイナスの値は、前者が後者に達していないことを示す。後者の危険率は3千分の1(0.0003)回であり、時間によらず一定である。前者は評価時点でほぼ0−5百分の1(0.002)回であり、時間とともに増加する。ほぼ0であれば前者が後者の回数に達するには今後1千9百年を要するが、5百分の1であれば前者が後者の回数に達してから3千9百年が経過していることになる。
指標(1)比: 最新活動(地震発生)時期から評価時点までの経過時間をAとし、BPT分布モデルによる危険率がポアソン過程とした場合のそれを超えるまでの時間をBとする。前者を後者で割った値(A/B)。
指標(2): BPT分布モデルによる場合と、ポアソン過程とした場合の評価時点での危険率の比。
指標(3): 評価時点での集積確率(前回の地震発生から評価時点までに地震が発生しているはずの確率)。
指標(4): 評価時点以後30年以内の地震発生確率をBPT分布モデルでとりうる最大の確率の値で割った値。
指標(5):

ポアソン過程を適用した場合の危険率(1年間あたりの地震発生回数)。